読書感想文は必要だった<R-26>
書くこともそうですが、読むことも同じだけ大切です。
最近、『読書感想文は必要か?』という話題をよく目にします。
夏休みの宿題の中で、読書感想文が一番めんどくさかった記憶があります。実際読まずに人の感想文を写して提出したこともあります。
こういう人からすると必要ないでしょうね。必要ないというか意味がない。
本来、読書とは自分が読みたいとおもう時に読みたいものを読むものだ。
読みたくないものを読まされて、書きたくない感想を書かされる。
ブロクを書いていると『ちゃんとしとけばよかった』と後悔しています。
文章がこんなにおもしろいものだと、なんで誰も僕に教えてくれなかったんでしょうか?
親と学校の先生に対して抗議します!
え?みんな教えてくれていたけど私が見向きもしなかっただけ?
ま、まあ確かに毎日テレビを観たり、ファミコンばかりしていましたけど・・・。
とある本に 、「文章を上達したかったら、下手な文章から学べ!」と書いていました。
おっしゃることはわかります。【人の振り見て我がふり直せ】ってことですよね?
そうは言うものの、ほかの人のブログをみてもそれぞれ特徴があって、それなりに読み応えもあります。
下手な文章なんてそうそう目にすることがありま・・・いや、あった。
私のブログです。
こんなに身近に下手な文章があったなんて、【灯台下暗し】とはよく言いました。
ちなみに、【灯台下暮らし】と昔本気でそう思っていたのは、何を隠そうこの私です。
人の文章を読んでとやかく言うのは反感を買いますが、自分のブログにダメ出しするのは自分がヘコむだけなので誰にも迷惑をかけなくて済む。
一度立ち止まって振り返ってみることにしよう。
以前、時間があるときにブログをカテゴリー分けしていて、今回は1日目〜14日目 『はじめてのブログ編』を読み返してみた。
自分で言うのもなんですが、意外とちゃんと書いてます。もっと目も当てられない感じと思っていたのですが、そうでもなかったのが率直な感想です。
もちろん細かいことを言えば、行間の調整や、改行のタイミング、句読点の使い方など、改善ポイントはいくつもあります。誰だって最初はそんなもんでしょう。それもその時しか書けない「味」なんじゃないでしょうか。私はそう思います。
なんでもかんでもダメ出しするような指導者だけにはなりたくありません。
あと説明文は難しいですね。今でもそれはそう思います。ちゃんと書けば書くほど、読んでいておもしろくない。読んでいる方もだんだん流してしまいます。説明文とかは動画の方がわかりやすいのかもしれませんね。内容に合わせてその辺の区別がうまくできれば、いろんな手法で表現できるかもしれません。
それと文章が大雑把というか話がざっくりしているんです。今ならもっと掘り下げられそうな内容がいくつかありました。これに関しては、完全に実力と経験不足といえるでしょう。違う角度で、もう一度取り上げてみたいですね。
1回の記事に言いたいことをいっぱい詰め込みすぎていました。だから一つ一つの内容が薄くなる。いろんなことをしたかったんです。そのおかげで読者に対して押し付けがひどくなっています。無意識のドヤ顔ほど恥ずかしいものはありません。
改めて読者に興味を持ってもらう文章を書くためには、
『構成力』『語彙力』『人間力』
が必要なのかな〜って。
まあ、なんと言いましょうか、、、ただがむしゃらにブログを書いていたので、当時の記憶はもう忘れましたが、きっといろんなことを考えながら書いていたんでしょうね。
つづく