読書感想文は入賞しても賞金がなかった<R-28>
なにやら【学習指導要領】という文部科学省が決めている教育課程の基準があって、読書感想文業界では、すごい力を持っているらしい。
ただ「感想」を書くだけでなく、自分の意見を書くこと。客観的ではなく主観的な方が好ましい。もちろん否定的な文章より肯定的、道徳的な方が高評価を受けやすい。
このような読書感想文の評価基準は青少年読書感想文全国コンクールにおいて好成績の読書感想文から読み取れる。と、ウィキペディアに書いていました。
みんな大好き読書感想文。どうやらポイントをおさえて書けばそれなりの評価を受けることができるみたいです。読書感想文に攻略法があったなんて知らなかった。
それならそうと学校の先生も教えてくれればよかったのに。まあ理解したところで入賞するような感想文なんて僕には書けません。
読書感想文全国コンクール公式サイトの応募要項を見てみる。課題図書と自由図書それぞれ一人1編ずつ応募できます。原稿用紙を使用。小学生で400字、高校生で2000字以内とされています。ちなみに参加資格は満20歳まで。
2000字。文字数だけでいえば今の僕ならなんとか書けそうな気がします。
審査は市町村審査会、都道府県審査会、中央審査会の順で段階的に行われます。その中で最も素晴らしい文章には内閣総理大臣賞が贈られます。本の感想を書いただけで国から表彰されるんですね。もしかすると私が思っていた以上にすごいコンクールなのかもしれません。
表彰された方には賞状とブロンズ像が贈られます。お金や図書券とか何か賞金とかあるのかと思えばないんですね。まあ学校教育の一環なので仕方がないといえば仕方ありません。でも賞金100万円とかだったら頑張って書く子供も出てくるでしょうね。もしかすると賞金欲しさに子供のふりをして書く親とか出てくるかもしれません。
くれぐれも悪い大人達は関わらないコンクールであってほしいものです。
今回も自分のブログを36日目から読み返してみました。毎日の更新をしなくなって、文章の書き方がだいぶ変わってきています。心にも少し余裕ができたのでしょうか。内容が良いか悪いかは別にして書く視点が変わったのは間違いありません。自分の過去を掘り下げ、知らないことや流行をネットで調べて、湧き上がる思いや感情をそのまま言葉にしています。
夢中で書いているとまわりが見えなくなります。当時はおもしろいと思って書いていたにもかかわらず、冷静に今読み返してみるとその狙いは見当違いでした。あえて実験的に書いていた記事もありますが、すべておもしろくなかったので実験は失敗ということになります。
なぜおもしろくない記事が書けて、おもしろい記事が書けないのでしょうか?
ブログの書き方に正解なんてありませんが、こういう感じで書けばいいっていうお手本が自分にはない。私の場合は独学です。読書が趣味というわけでもなければ、文才があるわけでもありません。
パソコンに向かってブログを書こうとしてもなかなか書けない時がよくあります。その理由は自分に知識と文章力がないからだと思い込んでいました。それもそうなのですが、それ以前にそもそもブログを楽しんでいないから文章が書けないんです。
お手本のない独学+日数ー楽しむ気持ち=おもしろくないブログ
50日目あたりで大きな変化がありました。この時期、コロナウイルスが流行した為に仕事がほとんどなくなりました。それにより生活のリズムも一変します。ブログの内容にも大きな影響を与えています。そしてブログに対する向き合い方も大きく変わっていきます。
つづく
読書感想文は夏休みの宿題だった<Rー27>
わからないことは自分で調べてみよう。
自分が心底知りたいと願わなければ、本当に学ぶことはできません。
あらかじめ言っておきますが、一から調べて思ったことを考えて書いています。この内容に関して何の情報も知識も一切ありません。あくまで個人の感想です。
前回の続きみたいになりますが、読書感想文って一体なんなのでしょうか?
気になったら夜も眠れないので、Wikipediaで「読書感想文」を検索しました。
私なりにこう解釈します。
「書くこと」と「読むこと」の能力を育てるために国がおこなっているらしいです。
そこでは本の「感想」だけでなく、自分の経験を交えた「意見」も求められており、主観的で道徳的で肯定的な文章が良いとされています。
前回の記事でも書きましたが、 書くことも読むことも同じだけ大切だと私もそう思います。
単に本のあらすじを書いて、ちょこっと感想を書いているだけの文章ではおもしろくありません。
ひとまず「書くメリット」と「良い感想文の書き方」は理解できました。
ではなぜ学生は「読書感想文」を書くのでしょうか?
それは夏休みの宿題だからでしょう。それ以外の理由が私には見つかりません。
読みたくもない本を読んで、書きたくもない感想を書く。ルールだから仕方ありません。私は課題図書も読んでいませんし、ちゃんと感想文を書いてもいませんでした。
『読みたい本を読んで、書きたい感想を書く』
読書感想文はそうあるべきだと私は考えます。
わかってますよ。教育の観点からすると、私は愚か者でしょうね。
自分の過去ブログを読み返す。これほどの地獄はありません。
今回は「崖っぷちブログ編」と称して、15日目〜35日目までを読み返してみましたが、あまりにもひどい文章だったので、一気読みするには精神的ダメージが大きいた為ちょっとづつ分けて読みました。
大変お見苦しい文章でした。申し訳ありません。心よりお詫び申し上げます。
最初から応援してくれていた人はこんな文章をずっと読んでいたんですね。
ブログをはじめてまだたったの2週間。何があってもその日、24時までに記事を更新することで精一杯です。
それと話題を1回で完結せずに次回に続けようとしています。これに関しては、当時お手本にしていた方の文章のマネをしたかったのだと思いますが、日数を1日でも伸ばそうとしているようにも見えます。
内容もその時はその時で考えていましたが、それ以上に自分を追い込むことばかり考えていました。それがカッコイイと勘違いしているんです。
そしてもう一つブログを開設しています。この「ガッキーのブログ反省会」です。
これが一番の良くなかった原因と言っていいでしょう。
書く負担が増やした為に睡眠時間がかなり減りました。寝不足で疲れも溜まり仕事にもかなり影響を与えたのは言うまでもありません。
認証欲求が人よりも強いんです。頑張っているアピールがしたかっただけ。
努力って見えないところでするからカッコイイのに、それを自分で値打ちを下げているわけですから救いがありません。
良かったことをあえて1つあげるとするなら、ただ夢中で挑戦しているということだけです。そこには意地しかありません。
実力がないから、そこを見てもらうしかなかったんです。
掃除する時の雑巾を絞るかのように、今までの記憶と経験から言葉を絞り出すように書いていましたが、それも1ヶ月で出なくなりました。
気がつけば毎日ブログを更新することに心も体も衰弱していました。
そりゃそうです。何のトレーニングもしていない奴が、いきなり42.195km走るみたいなもんです。
そんな奴が「僕、頑張るんで応援してください!」って言っているんです。
そうなんです、私は自分勝手なんです。
これ、ブログを書きはじめて気づいたコト。
つづく
読書感想文は必要だった<R-26>
書くこともそうですが、読むことも同じだけ大切です。
最近、『読書感想文は必要か?』という話題をよく目にします。
夏休みの宿題の中で、読書感想文が一番めんどくさかった記憶があります。実際読まずに人の感想文を写して提出したこともあります。
こういう人からすると必要ないでしょうね。必要ないというか意味がない。
本来、読書とは自分が読みたいとおもう時に読みたいものを読むものだ。
読みたくないものを読まされて、書きたくない感想を書かされる。
ブロクを書いていると『ちゃんとしとけばよかった』と後悔しています。
文章がこんなにおもしろいものだと、なんで誰も僕に教えてくれなかったんでしょうか?
親と学校の先生に対して抗議します!
え?みんな教えてくれていたけど私が見向きもしなかっただけ?
ま、まあ確かに毎日テレビを観たり、ファミコンばかりしていましたけど・・・。
とある本に 、「文章を上達したかったら、下手な文章から学べ!」と書いていました。
おっしゃることはわかります。【人の振り見て我がふり直せ】ってことですよね?
そうは言うものの、ほかの人のブログをみてもそれぞれ特徴があって、それなりに読み応えもあります。
下手な文章なんてそうそう目にすることがありま・・・いや、あった。
私のブログです。
こんなに身近に下手な文章があったなんて、【灯台下暗し】とはよく言いました。
ちなみに、【灯台下暮らし】と昔本気でそう思っていたのは、何を隠そうこの私です。
人の文章を読んでとやかく言うのは反感を買いますが、自分のブログにダメ出しするのは自分がヘコむだけなので誰にも迷惑をかけなくて済む。
一度立ち止まって振り返ってみることにしよう。
以前、時間があるときにブログをカテゴリー分けしていて、今回は1日目〜14日目 『はじめてのブログ編』を読み返してみた。
自分で言うのもなんですが、意外とちゃんと書いてます。もっと目も当てられない感じと思っていたのですが、そうでもなかったのが率直な感想です。
もちろん細かいことを言えば、行間の調整や、改行のタイミング、句読点の使い方など、改善ポイントはいくつもあります。誰だって最初はそんなもんでしょう。それもその時しか書けない「味」なんじゃないでしょうか。私はそう思います。
なんでもかんでもダメ出しするような指導者だけにはなりたくありません。
あと説明文は難しいですね。今でもそれはそう思います。ちゃんと書けば書くほど、読んでいておもしろくない。読んでいる方もだんだん流してしまいます。説明文とかは動画の方がわかりやすいのかもしれませんね。内容に合わせてその辺の区別がうまくできれば、いろんな手法で表現できるかもしれません。
それと文章が大雑把というか話がざっくりしているんです。今ならもっと掘り下げられそうな内容がいくつかありました。これに関しては、完全に実力と経験不足といえるでしょう。違う角度で、もう一度取り上げてみたいですね。
1回の記事に言いたいことをいっぱい詰め込みすぎていました。だから一つ一つの内容が薄くなる。いろんなことをしたかったんです。そのおかげで読者に対して押し付けがひどくなっています。無意識のドヤ顔ほど恥ずかしいものはありません。
改めて読者に興味を持ってもらう文章を書くためには、
『構成力』『語彙力』『人間力』
が必要なのかな〜って。
まあ、なんと言いましょうか、、、ただがむしゃらにブログを書いていたので、当時の記憶はもう忘れましたが、きっといろんなことを考えながら書いていたんでしょうね。
つづく
ブログの値段<R−25>
募金をしたことありますか?
例えばコンビニのレジの前にあるやつ。私はしたことがあります。
でも人生を振り返ってみても10回あるかないかくらいだと思います。
募金をした理由は小銭を財布にしまうのが面倒な時。あとは、、、なんとなく。
その1回の募金額も数円、多くて10〜20円程度。
そんな程度の意識だから、何の団体に募金したかなんて覚えているわけがありません。
これは私の募金に対する価値観なのですが、人が1円玉を募金していても、「あ、えらいな〜」くらいでそれ以上の感情は何もおもいません。
これが100円玉になると「お!」ってなります。
それが500円玉になると「おおおおおお!」ってなり、
1000円札になると「なんで?」になります。
ここで一つ質問です。
あなたは【1000円】募金をしようと思います。
募金できるのは一日1回で、期間は1000日あります。
何日かけて募金しますか?
1000円札なら1日、500円玉なら2日、100円玉なら10日、50円玉なら20日、10円玉なら100日、5円玉なら200日、1円玉なら1000日です。
硬貨の組み合わせを変えるといろんなパターンが考えられます。私は数学が苦手なのでわかりませんが、一体どんな方程式になるのでしょう。
多くの方は手元に1000円札があるなら、それを募金して1日で終わるでしょう。私ならそうします。
では、1000円札を一日で募金するか、1円玉を1000日間毎日募金するか、どちらが大変だと思いますか?
私は後者だと思います。
なぜなら忙しくて募金するのをつい忘れてしまうかもしれません。もしかしたら事故や病で動けなくなり募金ができないかもしれません。財布に1円玉がないかもしれません。1円玉を1000枚用意するのも以外に面倒ですしね。
1000円札1枚も、1円玉1000枚も、同じ1000円です。
1000日かけて募金してもその大変さは相手に伝わりません。
寄付された人からすれば、その1000円という価値は全く同じなんです。
だから別にすごくありません。
【横垣哲也のミソ知る】も現在95日目で、もうすぐ100日目になろうとしています。
ブログをはじめた時、誰かに「100日続いたらすごいね」って言われた記憶があります。
毎日続けて書くからすごいんです。
実際は181日もかかっています。
とはいえ「ブログを100回書くのはすごい!」と思った方は、そもそも募金をしたことが無いのか、私と同じでなんとなく募金している人でしょう。
「今日は仕事が楽しかったです」みたいな一文でもいいなら、おそらく100日連続で書けたと思います。しかし、そんなブログを誰も読みたいとは思いません。
書く目的や思いを込めないと、書くだけ時間の無駄になります。
なんとなく書くなら、書かない方がいい。
おもしろくないことは書きたくない。読んでくれる人の時間を無駄にしたくない。
そう考えると、なんとなくの気持ちじゃ毎日書けなくなりました。
もちろんそれだけじゃありませんが、それが毎日書けない一番の理由です。
1円玉の重さは1グラムって知ってました?
では、お札は1枚何グラムでしょうか?
日本銀行のホームページにはお札は1000枚でほぼ1キロ、1枚あたり1グラムになると書かれています。
1円玉と1000円札はほぼ同じ重さなんです。
1円玉が1キロ募金箱か、1000円札が1キロ入った募金箱。
同じ重さでもどちらの方が募金額が多いかは言うまでもありません。
私なら1日1円の価値しかないブログを読むより、1日1000円の価値があるブログを読みたいです。
私のブログの価値はまだ1円ですが、まずはそれを5円にしたいです。
5円の価値があるブログを毎日書くこと。それが今の目標です。
もうすぐブログも100日目になりますが少し足を止めて、ブログの価値が上がるようにちょっとだけ寄り道しようと思います。
つづく
なんかします<R-24>
スマホでこのブログを読んでいただいている人には表示されませんが、過去の記事をカテゴリー別で分けました。
50を超える投稿記事を振り返ってみると、頭の中の傾向やその時の自分のブームみたいなのが見えてきて面白いですね。
とりあえず1日目〜14日目を「はじめてのブログ編」、15日目〜54日目を「崖っぷちのブログ編」と称して区切りました。
こうして過去のブログを振り返っている時は自分の中にある一つの法則があります。
それは「ブログの現状に飽きている」という事です。
別に飽き性って訳では無いんですけど、なんか違う事したい願望が人よりも強いんです。
ゲーマーが「ゲームに飽きた」と言ってしまうことついて「ゲームに飽きたんじゃない、成長しないことに飽きたんです」とプロゲーマーの梅原大吾さんも言っています。
新しい次の手段を考えないとダメですね。
ブログ100日目くらいまでにはもう少し成長して説得力がある人間になろうかと企んでいます。
まだまだできるだけ毎日書くこと、考えることに精一杯ですけど。
つづく
勝手なお願い<R-23>
なぜ、三日坊主の私がこんなにブログを続けられてるのか?
そんな疑問も今の時代、ネットですぐに調べられます。
いくつも記事を読んだ結果、どうやら「説明好きはブログとの相性がいい」みたいです。
確かに。
人に教えるのが大好きです。
整理整頓も好きです。
データ収集とかも難なく出来ます。
頑張っている人を応援したいです。
あと自己顕示欲強いです。
こうして見ると面倒臭い人間ですね。
自分が嫌になります。
こんなことブログで書く必要なんか全くありません。
少しでも私のこと、ブログの内容を理解してもらうために書いています。
どんなにうまくブログを書いても私の思いは100%伝わりません。
知らないことに人は嫌悪感を抱くみたいです。
自分勝手なお願いですが、たくさんの人に私のブログのこと・テレビカメラマンのこと・テレビ業界のことをもっと理解してもらいたいです。
今後ともお付き合い宜しくお願い致します。
つづく
産みの苦しみ<R-22>
さあブログで何を書こうか?
毎日考えています。
書きたいテーマが決まるとテンションも上がりスラスラ書けるます。
しかしそれが書き終えるとまた、「何を書こうか?」って感じになります。
で、今がその「何を書こうか?」ってタイミング。
0を1にする作業ってしんどいですね〜。
こういう時は過去を振り返ったり、人と連絡とるようにしています。
すると意外なところからアイデアが生まれます。
今、頭の中で引っかかっているのが「おふくろの味」です。
ちなみに私のおふくろの味は、「白菜とお揚げのたいたん」です。
京都出身なんで「たいたん」って言います。
「おふくろの味」×「テレビカメラマンのブログ」
なんかまだ違いますね。
良いアイデアが浮かびません。
もう少し頭の中で因数分解してみます〜
つづく